vol.15 ライトワーカーを育てる
夏って暑いからかお盆が近いからかお亡くなりになる方が、まあまあいらっしゃいます。
生れるのも多いですけれどもね~
私は、そこら辺を歩いている死者は見えません。
もしかすると頑張ったら見えるのかもしれませんが、これ以上、人口が増えたらややこしい。というわけのわかない自己設定で、妖怪なども見えないようにしています。
ただ、うちの息子は死者も妖怪も天使も、人のオーラもあらゆるものが見えちゃうタイプでした。
この世界を知らない方は
「ぎゃーーーー。怖い」
と、思うかもしれませんが、生れた時からこうなら、本人も別になんとも思わないです。
ただ、自分が見えているのは、親も友人も見えていると思っている。
ここで、激しく主張するタイプなら子供の世界から浮いたりするかもしれませんが、みんなが見えてるいると思うのなら、貴方ならわざわざ、それを主張しますか?
そう、見えない世界が見えるのは当たり前。全員が見えていると思い込んでいる。
ですから、私の息子がこんなにはっきり見えていると認識したのは、小学校3年生のころ。
この頃、ノホホン男の子でも、きちんとした日本語をつかってくれるようになり、私との意思疎通もできやすくなります。
「お母さん、そっちの道は嫌」
「こっちの扉から電車を降りて」
とちょこちょこ主張します。
「なんで?」ときくと、息子にしては黒く嫌な霧があるのに、母親が気づかずに行こうとするのです。男の子は細かい説明しないので、ただ「こっち」とひっぱるだけ。
深くわたしも考えません。
「はいはい」と。
どこのお子様もこだわりがあるから、方向にこだわりがあるのね~と思うだけ。
絵本の読み聞かせを私は、なんと息子が3年生までしていました。息子は自分で本を読めるのですが、バリバリ仕事する私と息子のスキンシップの時間が寝る前しかとれなかったので、読み聞かせが続いたのです。
そのときに、「今日もキラキラちゃんたち、綺麗ね」と。
うんうん。というだけでしたが、息子がキラキラちゃんを捕まえて、ホラっと見せにきたのです。
かわいい手のひらをパカッと開いてくれますが、私には何もみえません。
「うん?見えないよ」と私がいうと、
「ええ?!お母さんって目が悪すぎ。眼下にいってね」と心配されます。
段々と見えない私がおかしいのかな、と思い、夫を呼びます。
夫に尋ねてもやはり見えません。
「綺麗ね~」と息子はキラキラちゃんを指さします。
「夫がこの部屋だけにいるの?それとも廊下にもいるの?」と尋ねます。
「廊下もだよ。へえ、そんなに綺麗なんだ、そのうち見えるかな~」
と、天井をみながら、夫婦で想像を膨らませました。
そのご、誰にきいてもキラキラちゃんの正体がわからず、子ども達にきいてもわからずだったのが、ある産婦人科の女医さんと出会い、他愛もない話からキラキラちゃんのことを尋ねてみました。
「ええ。知ってるわよ。子どもさんってよくいうよね」
と、平然というのです。
「誰にきいてもわからないのです、教えてください!」
「ええ?守護じゃないの~」と。
「守護って守護霊とかのですか?人型ではなくて?」
「人型として見える人もいるし、光の集まりという人もいるよ。息子さんは繊細だからあまり、勉強勉強といわずに好きにさせなさい。クリエイティブな道があうのよ」と。
「先生、進学塾にいれちゃいました・・・」
そのご、小学生でも勉強漬けになった息子は、見えない子になりました。
きっと訓練すればすぐに、見えちゃうとおもうのですが、見えすぎる目よりも半分瞑ってるほうが生きやすいのかも、というのが私の結論。
もちろん、見えすぎる目というのは霊魂の話だけではありません。
人の嫌なところや言動、相手の視線など、よくそんなに目につくねえ。と感心してしまうのが我が家の夫。
だから、不平不満をためやすいです。半分目を瞑っていきたらいいのに、といっても見てしまう。見えてしまう。そうです。
不思議なモノが見える人はそれなりの苦労もあるかもしれまんせが、我が家の夫のように、生きている人間の一挙手一投足を見てしまい、ネガティブな思考に繋げる人も苦労人のように思います。
反対に見えても気にしない姿勢。生き方。そしてわりとなんでも、ポジティブに捕らえる息子はいつも幸せそうです。
だから彼の周りの幸せそうです。
今は息子も20歳。
生れながらの「生きている」というだけで、ライトワーカーな若い子は多いです。
ゲームも好きですが、芸術と音楽、生き物と自然が好き。そして心根はやさしく正直。
この若い世代の、ふわあ~とした魂をつぶさずに、育ってほしい。育ててほしいと思います。
あなたの何かのヒントになれば幸いです。